産 地
鹿児島県大島郡(奄美群島)、鹿児島市
特 徴
経糸、緯糸ともに絹練糸を用いた、先染平織の絹織物。
渋く落ちついた色合いで、地風はやわらかく、しわになりにくい。
大島独特の織締めで絣加工し、テーチキ(車輪梅)や藍などの植物染料に泥染などをほどこして、繊細な絣紋様を織りだす。
大島紬には、泥大島、藍大島、泥藍大島、色大島、夏大島などがある。
用 途
高級着尺地。
変 遷
弥生時代のものと推定される遺跡から「紡錘車」が出土していることからも、奄美の島々には、かなり古い時代から織物があったことがわかる。大島紬の起源は明らかではなく、千数百年前に中国から伝えられた古代染織がもとになっているとも、久米島から伝来したものだともいわれているが、奈良時代には養蚕が行われ、手紡ぎ糸で紬が織られていたことは確かである。
江戸時代の享保年間(一七一六~一七三六)には手くくりの絣紬がさかんに織られていた。しかし、当時、島民は絹物の着用を禁じられていたため、もっぱら薩摩藩への税として納められ、商品として生産されるようになったのは明治維新後であった。
泥染法による大島紬は、明治一一年に生まれた。笠利村の主婦がテーチキ染の着物を洗濯しようと田の水に浸しておいたところ、知らぬ間にねずみ色に変色してしまったことが、泥大島のヒントになった。
絣柄も、単純な経緯絣から十字絣や亀甲絣などが研究され、明治三四年頃に永江伊栄温が織締めによる絣加工法を発明、これにより多様な経緯絣柄が織られ、精緻な十字絣が生産されるようになって、需要も増大した。また、需要の増加にともない、織機も居座機から、能率的な高機へと変えられ、大島紬は精巧な絣模様の高級着尺地として定着した。
なお、藍大島が生まれたのは大正初期頃、化学染料を部分的に用いる色大島が生まれたのは昭和初期頃である。
染色法
◆泥大島紬◆ *糸染 こまかく砕いたテーチキの幹を、およそ十時間煮沸して、濃縮した液をとる。煎汁液を冷やしてから糸を漬け、糸に少量の石灰をまぶしながら十五分くらい両手でもみ込んでから、天日乾燥をする。以上の工程を二十回ほど繰り返す。
*泥染 鉄分の多い泥水に糸を漬け、泥水をよくもみ込み、褐色に発色させる。初めはテーチキ染三回ごとに泥染を一回行い水洗いをし、ふたたびテーチキ染を行う。次にテーチ木染二十回に泥染を一回の割合で行う。これを数十回繰り返すと、黒褐色に染めあがり、糸がしなやかになる。
◆藍大島紬◆
糸を正藍で染め、絣部分を白く残した紺絣。
◆泥藍大島紬◆
正藍で糸を浅黄に染めてから絣加工をし、テーチキ染と泥染を行って仕上げる。
◆色大島紬◆
化学染料による赤や黄、緑などの色をほどこした多色入りの泥大島や藍大島。