産 地
高知県香美郡香我美町
特 徴
やさしい感じの縞柄で、素朴な肌触りの織物。かつては赤岡縞、岸本縞とも呼ばれた。
用 途
作業着、趣味の着尺地、夜具地。
変 遷
土佐藩の奨励により、文化年間(一八〇四~一八一八)の頃から綿花の栽培がさかんになり、赤岡縞、岸本縞が織られるようになった。
明治、大正時代を通しては普段着、野良着としての需要をもっていたが、現在は衣料としての需要はほとんどない。
土佐綿紬は、赤岡縞の伝統を残す民芸品として存在している。
高知県香美郡香我美町
やさしい感じの縞柄で、素朴な肌触りの織物。かつては赤岡縞、岸本縞とも呼ばれた。
作業着、趣味の着尺地、夜具地。
土佐藩の奨励により、文化年間(一八〇四~一八一八)の頃から綿花の栽培がさかんになり、赤岡縞、岸本縞が織られるようになった。
明治、大正時代を通しては普段着、野良着としての需要をもっていたが、現在は衣料としての需要はほとんどない。
土佐綿紬は、赤岡縞の伝統を残す民芸品として存在している。