産 地
佐賀県佐賀市
特 徴
平織または綾織の、華やかな織物。
金銀の箔紙や漆を塗った和紙をこまかく裁断したものを経糸に用い、緯糸には多彩な絹糸や金銀紙を用いる。
用 途
帯地、ハンドバッグ、草履、帯締め、サイフなど。
変 遷
起源には諸説があり明らかではない。ある説によると、江戸時代に、京都から小城藩鍋島家に嫁いだ女性が、京都の紙遊び細工から網代組を織りだし、それが御殿女中の手芸として発達したのだとされる。また別の説では、鹿島鍋島藩の九代藩主夫人・柏岡が病床にあったとき、天井の網代組からヒントを得て、こよりで網代模様を織ったのが始まりとされる。
佐賀錦は、初めは和紙と和紙、あるいは和紙と木綿糸という組み合わせだったが、やがて改良されて現在の形式となった。
「組錦」「御組錦」「鹿島錦」と呼ばれた時期もあった。
藩内で守られてきた技法は、明治維新の廃藩置県のために一時途絶えたが、佐賀出身の大隈重信夫人の尽力により復興され、現在に至っている。
*鍋島家 肥前藩の藩主。のちに、肥前近郊の小藩である小城藩、蓮池藩、鹿島藩も治めた。つまり肥前、小城、蓮池、鹿島のどの藩も鍋島家を藩主にもつ兄弟のような藩である。佐賀錦が鍋島家の所領のいずれかの藩で成立したことは確実であるが、それぞれの藩に佐賀錦の起源を物語る逸話があるので、確定が難しい。
肥前藩は江戸開幕時からの藩。小城藩は一六一四年に鍋島勝茂(のちの肥前藩主)の子、元茂が分封されたことに始まる。蓮池藩は一六三六年に鍋島直純が分封されたことに始まる。